名も無き引きこもりのこれまで④

ここで少し、僕の父の話をしたいと思います。
うちの家族は色々と性格に問題がある人が多いのですが(僕も含め)、僕から見て一番問題があるのがこの父親です。

父もまた勉強が一番大事だと考えるタイプなのですが、唯一母と違うのがその性格でした。
大人しい母と比べて父はどちらかというと行動力のあるタイプで、趣味も車や釣りなどアウトドアのものが多い人です。
またそういう趣味を持っているからか田舎というものをやたらと美化しているなと子供心に感じていました。
田舎の人は皆良い人だ、自然豊かな田舎で暮らせばきっと僕にも良い影響があるに違いない……そんな事を思って父はここに移住する事を決めたのかもしれません。

 

 

……いや、ふざけるなよ本当に。
そもそも僕をいい大学に入れたいのであれば、もっと教育のちゃんとした学校に入れるべきだし、こんな田舎の糞ガキどもが通うような学校ではそれが見込めない事くらい少し考えれば分かると思うんですよ。
それに田舎のデリカシーの無い人間達と関わる羽目になって、僕同様人見知りな母が困っている姿を子供の頃に何度か見た記憶があります。
結局の所、僕には父親が田舎暮らしをしたいが為に家族を振り回した様にしか思えず、そのせいで僕があんな目に遭ったのかと思うと本当に腹が立ちましたね。
しかもそんな僕の気持ちなんて知る由もなくこの男は時折、自分はいつも家族の事を考えているいい父親だと言わんばかりの態度を醸し出す事がありました。
そんな姿を見ていると、僕はこの男が心の底から憎くて堪らなくなりました。

 

 

また、僕はこの父親から自己中だとか我儘だという理由で何度か怒られた事があります。
学校に行きたくないと告げた時も「それはお前の我儘だ」と言われて怒られました。
……いや、お前が言う?
自分の都合で家族を振り回してきたお前に、そんな事を言う資格があるのか?
当時はまだそんな風にハッキリとは思えませんでしたが、何となく父の発言に対してモヤッと感じたのを覚えています。
で、それを指摘したら滅茶苦茶逆ギレされたんですよ。
そんな男を父親として尊敬できる筈もなく、僕と父の溝は更に深いものとなっていきました。
今では一緒の家に住んでいるにも関わらず、会話も殆どありません。
恐らく、父が死ぬまでずっとこの調子だと思います。

 

 

それと父の話をしていて思い出したのですが、あの当時流行っていて既に続編も出ていたハリーポッターの本を父が僕に買ってきた事がありました。
ただ僕は父に欲しいとねだったわけではなく、興味があったわけでもありません。言わば父が勝手にやった事です。
その為僕はあまり読む気になれず、他にやりたい事もあったので放置していました。
それから暫くして父が読んだかどうか聞いてきたので、僕は読んでないと正直に答えました。
すると父に「ちゃんと読まないんだったら、もう買ってあげないぞ」と言われました。
ハッキリとは覚えていないのですが、確かそんな感じの言葉を言われたと思います。

 

 

いや、何だよ買ってあげないって。
こっちは別に買ってほしいだなんて頼んでないのに、何で上から目線でそんな事が言えるんだと僕は思いました。
確かに僕は読書もファンタジーも好きですが元々ハリーポッターにはあまり興味がなかったですし、興味の無い本をわざわざ読んでみようと思う人は少ないと思います。
今にして思えばあれって、結局父が自分は子供の為にプレゼントを買ってあげるいい父親だ……という自己満足に浸りたいが為の行為だったとしか思えないんですよね。
……と、思いのほか父への愚痴が長くなってしまいましたが、とにかく僕はこういう理由があって小学生の頃から20年以上引きこもっているというわけです。

 

 

中学に上がってからは学校に行っていた時期もあったのですが、結局僕は小学校の時とほぼ同じ理由で不登校になってしまいました。
それ以来学校に行った事もなければ、社会に出た事もありません。
「高校や大学でやり直せば良かったじゃないか」と思う方もいると思います。
確かにもっと勉強していい高校やいい大学に入れば、僕が感じていたような不満は無くなるかもしれません。
でもそれは同時に、僕の親が小さい頃からずっと僕に言い聞かせていたことでもあります。
その時にはもう親に対して反発心(特に父)を持っていた僕には、親の言う通り勉強していい高校やいい大学に入るという道を選ぶ事が、何だか親に負けたような気がして堪らなく嫌だったのです。
つまらない意地を張ってと思うかもしれませんが、僕にとっては譲れない大切な事でした。

 

 

しかし、だからと言ってすっかり人間が嫌いになっていた僕に外に出て働く……という選択肢も無くこうして今の今までずっと引きこもっているというわけです。
この20年以上、僕はずっと自分の部屋から外の世界を見つめてきました。
20年以上も時間が経てば当然色々な事が変わっていきますが、それは外だけではなく我が家の中でも同じ事。
中でも一番の変化は、母が認知症になった事でした。

 

 

(続く)