前回の記事を書いたのは夏真っ盛りの8月前半でしたが、早いものであれからもう約5ヶ月……あれだけ暑かったのが嘘のように寒くなった上に、2025年ももうすぐ終わりを迎えようとしています。
皆さんにとって今年はどんな一年だったでしょうか。良い年でしたか?それともあまり良くない年でしたか?
僕にとっては……正直に言ってあまり良くない年でした。
このブログにも書いたPCが壊れた一件といい、どうも今年は何かとトラブルに見舞われる事が多く、殆どはここに書くほどでもないような小さな問題だったのですが、メンタルはどん底でも少なくとも自分自身は平穏無事に過ごせていた2024年と比べると、やはり今年はだいぶ運が悪かったなと強く感じています。
しかしそんな2025年も残すところあと1ヶ月……2026年が果たしてどんな年になるかは分からないけど、とにかく今は新たなトラブルが起きない事を祈りつつ、残された日々を過ごしていこう。……と12月初旬、僕がそう心に決めたのも束の間、まさにトラブル続きの2025年を締めくくるような非常に厄介なトラブルが僕に襲い掛かりました。
結論から言うと、父が病院に入院する事となったのです。
事の始まりは上述した12月初旬の朝の事です。
普段父は僕よりも遅く起きてくる人間なのですが、何故かこの日は僕よりも早起きしており、居間の椅子に座って僕の事を待ち構えていました。
その時点で僕は何となく嫌な予感がしたのですが流石に無視するわけにもいかず、どうしたのかと聞くと父は「高熱が出て体が怠い。自分が担当している分の家事や買い物は暫く出来そうにない」と僕に報告してきたのです。
世間ではちょうどインフルエンザが猛威を振るっているというニュースが盛んに報道されている時期。僕は「(まさか……)」と思いましたが、その不安は見事に的中する事となります。
何故なら僕自身も父の病気がうつってしまい、これは確実にインフルエンザだと身をもって体験する事となったからです。
正直二人とも高熱で病院に行けるような状態ではなく実際に「インフルエンザだ」と診断を受けたわけではないのですが、僕の場合は熱が39度以上出て、激しい咳と頭痛に数日間苛まれました。
ただの風邪にしてはあまりにもレベルの違う苦しみだったため、恐らく症状的にも時期的にもインフルエンザに罹ったと見て、まず間違いないと思います。
僕としてもインフルエンザに罹ったのは随分久しぶりだったのですが、これまでの記憶を辿ってみても今回のインフルエンザが一番酷かったのではないかと思いますね。
咳もそうですがとにかく頭痛が酷く、文字通り頭が割れそうな痛みが四六時中ずっと続いていましたから。
お陰で眠りたくても碌に眠る事も出来ず、また薬なども常備していなかったため、その時はYouTubeで頭痛に効果があるとされる音楽をひたすら垂れ流して何とか耐え忍ぶしかありませんでした。
しかしそれから数日が経つと熱も徐々に下がり、永遠に続くかと思われたあの頭痛も次第に痛みが弱まっていって、更に数日後には漸く普段通りの生活を送る事が出来るようになりました。
ただ僕の場合はそれで済んだものの、問題は父の方でした。
父も僕同様、熱はすっかり下がった筈なのですが呼吸が荒く常に苦しそうにしており、おまけに体に全く力が入らないと言うのです。
しかも熱は下がっても食欲が湧かず、食べ物も碌に食べられない様子。
それで父も流石にこの状態はおかしいと思ったのか、殆ど食べていないも同然の昼食を食べた後、僕の見ている横で普段からお世話になっているかかりつけ医の先生に電話をかけ始めたのです。
すると先生は電話口の父の様子や会話の内容から父が危険な状態にある事を見抜いたようで、救急車を手配するからそれに乗って大きな病院で診てもらえ……という事になったという話を、僕は電話を終えた父の口から聞かされました。
救急車というその単語に思わず驚く僕……どうやら父の容態は僕が思っている以上に深刻らしく、僕はその時「(ああ……いよいよ父は死ぬかもしれない)」と思った事を今でもはっきりと覚えています。
その後サイレンと共に救急車が到着し、父は救急車に乗せられて病院へと向かいました。
また、その時僕も救急車に同乗させられそうになったのですが、それってつまり行きは良くても帰りは自分一人で帰って来なくちゃいけないわけじゃないですか。
何だか明らかに長くなりそうだし、帰る頃には既に暗くなっていそうだし、その上ここは糞田舎……交通の便の悪さに関しては非常に定評のある土地です。
駅は隣町まで行かないとありませんし、バスは基本的に一時間に一本……しかも最寄りのバス停から自宅までがまたそれなりの距離を歩かなければならないし、タクシーはお金かかりそうだしで、とてもそんな状況で一緒に付いていく気にはなれませんでした。
……で、交通事情的に同乗するのは難しいという話をしたところ、その救急隊員の方に「お父さんが大変な状態なのに云々かんぬん……」みたいな説教じみた事を言われたんですよ。
恐らく彼からしてみれば、父親が大変な時にグチグチ文句ばかり言って何て息子だ……とでも思ったのでしょうが、正直僕からしてみれば何も知らない人間の綺麗事にしか聞こえませんでしたね。
彼も暫くここで暮らしてみれば僕の言っている事が嫌でも分かるようになると思います。
何より用があるから一緒に来いと呼びつけるだけ呼びつけておいて、用が済んだらハイさよなら、あとは勝手に帰ってねというのも実に乱暴な話だと思うのは僕だけでしょうか?
別に一緒に行く事自体は構いませんが、それならせめて帰りの手段についても病院側で責任を持ってもらいたいものだと思ってしまいますね。
それで結局僕は病院には付いていかず家で連絡を待つことになり、漸く病院側から連絡があったのが辺りがすっかり暗くなった午後5時頃。
そこで僕は父が入院する事になったという話を聞かされたわけです。
病院の先生の話だとどうやら父は肺炎を起こしていたらしく、それもかなり酷い状態だったので暫く入院させる事を決めたのだとか。
その後は奇跡的に帰りが早かった叔父に事情を説明し(父が入院した事や、叔父にも病院側から話があるので明日は連絡があるまで家にいてほしいと言われた事など)、それからは僕と叔父による二人だけの生活が続きました。
しかし叔父と二人だけの生活というのは、正直に言って最初はかなり緊張しましたね。
普段は父とすら殆ど話さないというのに、父以上に話す機会の無い叔父といきなり二人だけの生活……だから叔父が僕に対してどういう風な出方をするか分からず、当初は叔父の事を警戒していたのです。
ですがその心配は正直、杞憂に終わりました。
普段は家事の全てを僕たちに任せ、休みが取れれば僕らを放って趣味の旅行やスキーに出かけてしまう叔父……そんな姿をずっと見てきたため、こんな状況になっても我関せずで僕の事など助けてくれないのではないかと思っていたのですが、父の代わりに僕の食べるものを買って来てくれたり、足りないものがあるので買ってきてほしいと頼んだら買って来てくれたり、ゴミの収集日にはゴミ捨てに行ってくれたりと、色々と僕の事を助けてくれたのです。
あれは本当に助かったし、何より嬉しかったですね。
父の死後について考えた時、一番の懸念が叔父との関係性だったのですが、こんな風に助けてくれるのであればこのまま父が最悪いなくなったとしても何とかなるかもしれないな……とその時の僕は思いました。
そしてそんな叔父との二人きりの生活が一週間ほど続いたある日の事。
お昼になったので昼食をとろうと一階の居間に向かおうとすると、どうも一階の様子がおかしい事に僕は気付きます。
叔父は暗い空間や閉ざされた空間というのが苦手な人らしく、普段からドアは基本開けっ放し、カーテンも開けっ放しにするような人で、叔父が朝食を終えて仕事に行くと居間の状態はドアもカーテンも開け放たれているのが普通なのですが、何故かその日に限って居間のドアが閉められていたのです。
しかも父が入院した事でずっと玄関に置かれたままになっていた父のスリッパが、何故か無くなっているではありませんか。
「(あれ?もしかして……)」と思いつつ僕が居間のドアを開けると、やはりというべきかそこには父の姿がありました。
普段感情に乏しい僕もこの時ばかりはやはり驚いてしまい思わず変な声が出てしまったのですが、そんな僕に父は退院許可が下り、タクシーで帰って来たという話を冷静に語り始めました。
ただ退院する事になったといっても苦しそうなのは相変わらずで、その後は久しぶりに父と昼食を共にしたのですが、やはりまだ以前ほどの食欲は戻っていないらしく、おまけに肺炎の薬を大量に貰ってきたようで、昼に限らず、朝も夜も大量の薬を飲まなければいけないのは見ていてとても大変そうでしたね。
このブログ内でも何度も書いている通り、僕は父の事が嫌いです。
父がこんな田舎に引っ越そうなどと言いださなければ僕が引きこもりになる事はなかった……という考えは今も全く変わっていませんし、普段買い物や料理などの家事をこなしてくれている事には感謝していますが、それでチャラになるほど僕が父から受けた心の傷は浅くはありません。
でもやはりそんな父でも一週間ぶりに姿を見ると、正直ほっとしてしまったんですよ。
僕がこの父のいない一週間の間、何が一番辛かったかというとお風呂の時間でした。
どういう事かというと僕は夕食前にお風呂を済ませるタイプでして、夕方頃になると自室から下りてお風呂に入る(正確にはシャワーですが)というのが毎日の日課となっています。
……で、この時間帯というのは本来なら父が夕食に向けての準備をしている時間でもあるわけで、以前は僕が居間まで下りてくると暖房が効いて明かりの灯った室内の中で料理をしている父の姿を確認する事が出来たのですが、父が入院しているとあっては当然そんな姿を見る事は出来ません。
おまけに居間にはさっきまで僕以外の人間はいなかったわけですから当然暖房や明かりは点いておらず、暗くて寒い部屋がただそこに広がっているだけ。
もちろん急いで暖房も明かりも点けるのですが、当然すぐに暖かくなるはずもなく、そんな状況で服を脱いでお風呂に入るという生活は正直に言って結構堪えました。
何より誰もいない寒くて暗い居間を見ていると、「(ああ、僕は今この家にたった一人なんだ)」と感じて、初日は物凄く怖くなった事を覚えています。
一人が好きなはずの僕がこんな気持ちになるだなんて自分でも驚きましたが、今回の件でやはり一人で出来る事には限界があるという事、そして人間的には何かと問題のある人達だけれど、それでもそんな家族たちに支えられているからこそ今の自分の生活があるのだという事を僕は強く気付かされました。
そして現在……父は以前と比べると体力は少し回復してきたような感じはするものの、息苦しそうなのは相変わらずでまだまだ完全回復とはいえない状態です。
なので父の仕事であった洗い物を僕が肩代わりしたり、車の運転は出来るようになったものの、まだまだ重いものを持てるような体力は無いため買い物の時は僕が付き添って荷物を持ったりと、現在はそういった感じの生活を送っています。
仕事が増えたので正直面倒だなと感じる事もありますが、買い物のために物凄く久しぶりに外に出たお陰で、自分の記憶とはいつの間にか色々変わっていた街並みを見たり、今までは父が買ってきたものをただ食べるだけの毎日だったのが、一緒に買い物をするようになってある程度自分の希望を聞いてもらえるようになったりと、そういう所は少しだけ楽しいなと感じていますね。
また父は12月26日に検査のために再び病院へ行く必要があるようなのですが、果たしてどうなることやら……。
流石に再入院などという事にはならないかと思いますが、なかなか体調が良くならない上に最近熱がまた少し出てきてしまったようで、これから父がどうなっていくかは分かりませんが、とりあえずこの生活があともう暫く続く事になる事だけはどうやら間違いなさそうです。
今年もあと少しで終わりという時に我々家族はとんでもないトラブルに見舞われる事となってしまいましたが、年末年始を病気で過ごす事になるなんて本当に洒落にならないので、皆様はくれぐれも体調管理には気を付けて、良いお年をお迎えください。
それでは、今回はこの辺りで失礼致します。