ここがヘンだよ卒業式

お久しぶりです。
実は今ハマっているゲームがありまして、どうしてもそちらの方に割く時間が多くなってしまいブログの更新が遅れてしまいました。
すみません、本当はもう少し早く更新したいと思っていたんですけどね。
それと念のため言っておきますが、早くもブログに飽きたとかではありませんからねw

 

 

前回までの僕は正直かなり気持ちがどんよりしていて、「(誰でもいいから自分の現状を分かってもらいたい、今の気持ちを吐き出したい)」と思い、こうしてブログを始める事にしました。
しかし上述したゲームのように何か夢中になれたり楽しいと感じられるものがあったりすると、やっぱりそういう欲も薄れてくるんですよね(結局ただの現実逃避でしかないことは分かっているのですが)
なのでこのブログも"書きたい時に書く"というスタンスでやっていきたいと思います。
我ながら身勝手だなと思いますが、どうかご了承ください。

 

 

それと謝罪はもう一つあります。
今回は前回同様、田舎で引きこもる事で生じた問題点について書く予定だったのですが、タイトルを見てお分かりの通り急遽予定を変更する事になりました。
理由としましては……そうですね、これもまた田舎暮らしの弊害であることには違いないのですが、前回と比べるとあまりにしょうもない悩みだったからですかね。
あとは3月になった事で卒業式の記憶を思い出し、どうしてもこのイベントに物申したくなった事が理由です。
なので楽しみにしてくれていた方がいましたら(いるのかな?)申し訳ないのですが、この話はいずれ機会がありましたら再びさせていただきたいと思います。

 

 

さて先ほども言いましたが、僕がゲームにハマっている間に季節は3月を迎えました。
引きこもっていると本当に時が経つのが早く感じられます。
そして3月といえば卒業式……僕は小学校の時の一回だけではありますが、一応卒業式への出席経験があります。
この辺の事を詳しく説明してしまうと特定される可能性があるので(もう手遅れかもしれないけど)説明は省きますが、とにかく小学校への卒業式には出席したという事だけ覚えていただければ大丈夫です。
ですが初めて経験したこの卒業式というイベント、僕の感想はひたすら「(何だこれ?)」でした。

 

 

もう20年以上も前の事なのでだいぶうろ覚えですが、あの卒業式では卒業生が一人一人席から立って、学校側が用意した先生への感謝の言葉や学校での思い出などを語っていくという時間がありました。
正直卒業式なんてどこの学校も大差ないと思いますので、もしかしたら皆さんも経験された事があるかもしれません。
でもちょっと待って下さい。先生への感謝の言葉だとか学校での楽しかった思い出って、そもそも人から言わされるものじゃありませんよね?
自分が心からそう思って自然と口をついて出るからこそ意味があるのであって、人から「こういう事を言え」と言われて言わされたところで何の意味もないわけです。

 

 

僕は正直、学校が心の底から楽しかった、先生や友達とたくさんの思い出がある……という子ってそんなに多くはないと思うんですよ。
まあ他ならぬ僕自身がそうなんですが、そもそもそんな風に感じられるいい子ばかりだったら、いじめ等の問題は起きてないでしょうしね。
にも関わらず「楽しかった学校生活」だの、「先生ありがとうございました」だのと心にもない事を言わされ、間違えたり声が小さかったら怒られる……本当に何をやらされてるんだろうと思いましたよ。
いや全く、子供心に「(すげぇ茶番だなー)」と感じましたね。

 

 

というかそもそもこの卒業式って、今思うと卒業生の為というより単なる学校側の自己満足のような気がします。
卒業生たちに感謝の言葉を述べさせて自分達が気持ち良くなりたいだけ……これじゃ正直、もうオ〇ニーと何も変わりません。
大体「楽しかった学校生活」だの、「先生ありがとうございました」だのと言ってほしいんだったら、あんたらが心からそんな風に思えるような学校生活を提供してみろって話ですよ。
本当にこんな茶番をわざわざ数日前から練習するくらいなら、もっと他にやるべき事がたくさんあるだろと思いましたね。
わざわざ卒業式なんて大々的なイベントにしなくても、一人ずつ卒業証書を渡して「卒業おめでとう」でいい気がするんですけど、それじゃダメなのかなぁ……。

 

 

皆さんは"卒業式"、どう思いますか?

田舎で引きこもる事で生じた問題点①

前回のブログを書く為に昔の事を思い出している内、改めて思った事があります。
僕は恐らく発達障害です。
他の人と比べて得意な事と苦手な事の差が顕著だったりする所とか、妙な所で強いこだわりやプライドが出てしまう所とか。
それと数年前から、突然気持ちが落ち込む事が増えてきました。例えるなら心の中にどんよりとした雲がかかったような状態です。
もしかしたら僕はうつ病も患っているのかもしれません。
なぜ「恐らく」だとか「もしかしたら」だとか、そんな曖昧な表現を使っているかというと、まだ実際に診察を受けた事がないからです。
だったら早く診察を受ければいいじゃないかと思った方もいらっしゃるでしょう。
ですが、そう簡単には出来ない事情があるのです。

 

 

前回の僕のブログを読んでいただいた方なら、僕達家族が父のせいで田舎に引っ越す羽目になった事を理解していただけたかと思います。
田舎といってもどの程度なのかとお思いでしょうが、周りは畑ばかりで車が無いと移動もままならない……そんな感じの、皆さんが田舎と聞いて思い浮かべるような所そのものといった感じの場所です。
そしてそんな場所なので周りに病院なども存在せず、特に精神科もあるような大きな病院に行こうと思ったら車でそれなりの距離を移動しなければならないわけです。
僕は車の免許を持っていません。そして前回のブログを読んでいただいた方なら、僕と父の仲が悪い事も理解していただけたかと思います。
だから父に頼る気にもなれず(というか、そもそも話したくない)、こうして八方塞がりな状況に陥っているというわけです。

 

 

なら自分で免許を取れば良いのでは?と思った方もいらっしゃるでしょう。
実は僕、以前教習所に通っていた時期があったんです。
今から数年前……祖母が入院し、母の認知症が発覚した暫く後の事だったと思います。
ある日父から「車の免許を取るつもりはないのか?もし取る気があるなら金は俺が出してやる」と突然言われたんですね。
正直僕は車には全く興味が無く、むしろ小さい頃から「(一歩間違えば大事故なのに、何でこの人たちは平気でこんな事が出来るんだろう)」と運転している人達に対して思うくらい車に恐怖心を抱いていました。
しかし上述した通り、ここはド田舎……運転できるのであればそれに越したことはありません。
それに僕の鬱っぽい症状が出始めたのも丁度この辺りからでしたし、自分で運転できれば病院にも行けるようになる……そう思い、父の申し出を受ける事にしました。
まあ正直、父の「(買い物などの面倒な仕事を僕に任せて楽がしたい)」という思いが透けて見えたので、それに乗っかるのは癪でしたけどね。

 

 

で、結果はどうだったのかというと……もう言わなくても分かりますよね?既に免許持ってないって書いちゃってるし。
そうです。僕は免許を取る事が出来ませんでした。
元々不器用で鈍臭い僕に運転が向いているとは思っていませんでしたが、まさかここまで酷かったとは自分でも思いませんでしたね。
それに最近の教習所の教官は優しいなんて聞きますけど、あれは嘘です。
僕が当たったのはみんな嫌な感じの人ばかり……というか、受付のおっさんからして既に嫌な感じの奴でしたね。ただの受付の分際で滅茶苦茶偉そうだったし。

 

 

まあ教官達も、初対面時は比較的丁寧な感じで教えてはくれるんです。
だからその時は僕も「(お、もしかしていい先生かな?)」と思ったりするのですが、だんだん僕の下手さが明らかになってくると本性を現してくるというか……
結局僕の運転が下手なのが全て悪いんですが、それがちょっと裏切られたような感じがして悲しかったですね。
ちなみにどれくらい下手なのかというと、S字コースで脱輪しまくるのは当たり前、また教習所内を走っている内に右と左の感覚が分からなくなったり、標識や信号を見逃してしまったり……うん、我ながら本当に酷いな。
まあこれは恐らく、狭い車内という空間で知らない人と二人きりという状況で物凄く緊張していたせいもあるかと思います。
僕の部屋よりも更に狭い車内という空間で、知らない人が隣に座っている……しかも僕は家族とすら殆ど話さない引きこもり。
あの時の緊張感は本当に半端じゃなかったです。心臓の鼓動がありえないほど早くなっていて、僕はここで死ぬんじゃないかとすら思ったくらいでした。
だからそんな状態で「ああしろ、こうしろ」と言われても全く頭に入って来ず、むしろ混乱して更なるミスを犯し余計教官に怒られる……教習所に通っていた時はそんな毎日の連続でした。

 

 

そして遂に、僕は学校に引き続き教習所にも行きたくなくなってしまいます。
始めは僕のうつ病っぽい症状を治す為に、病院へ行く手立てが欲しい……そう思って行き始めた教習所でしたが、次第に教習所のある日は酷く落ち込むようになったり、眠れなくなったり、大好きなゲームも手につかなくなったりと、逆に症状が加速したかのような状態になってしまったのです。
それで「(ああ、やっぱり俺には運転は無理だな)」と思い、勇気を出して父にもう教習所には行きたくないと告げました。
正直滅茶苦茶怒られるだろうなと覚悟していたのですが、意外な事に父は「そうか」とだけ言って了承してくれました。
あの時の父の心境がどんなものだったかは僕にも分かりません。
僕が本気で悩んでいる事を理解してくれたのか、それとも、もはや怒る価値も無いと思うほど僕に失望したのか。
前者だったら嬉しいですが、あの父の事ですからたぶん後者だと思います。

 

 

その後、教習所に行かなくなった事で上述のような症状は次第に改善されていきました。
ただ、突然気持ちが落ち込む……という症状までは無くなっておらず、ふとした時に現れては僕の心を苦しめていきます。
まあ、それも当然だと思います。教習所の問題が無くなっても、僕にはまだまだ様々な問題が圧し掛かっているわけですから。
その事を考えると本当に憂鬱になりますし、もしあの時免許が取れて病院に相談できる環境にあったなら、僕の現在も少しは変わっていたかもしれません。
しかし、もう教習所には行きたくないと思う気持ちも紛れもない僕の本心で、またあんな所に行くくらいならこの悩みを抱えたままずっと引きこもっていた方がマシだ……と思う自分がいる事もやはり事実なのです。
これがいわゆるジレンマという奴なんでしょうか?
よく分かりませんが、僕は今こんな二つの悩みの間で板挟みになりながらも何とか日々を生きています。
そしてこの世界の大半の人が取れているであろう自動車免許を取れなかった点を鑑みても、やはり僕は発達障害であるという線が濃厚だと思いました。

 

 

という事で、今回は田舎で引きこもる事で生じた問題点について書いてみました。
正直、僕が田舎ではなく都会で暮らし続けていたらここまで悩むことはなかったんじゃないかと思います。
本当にあの父親にはどれだけ恨み言を言っても言い足りないくらいですが、こうしてブログを書くようになってから少しだけ気持ちが軽くなる日が多くなってきたように思います。
やはり自分の悩みだとか気持ちを吐き出すというのは大切な事なんですね。
次回も同様に田舎で引きこもる事で生じた問題点について書く予定ですので、読んでいただけたら嬉しいです。
それでは。

名も無き引きこもりのこれまで⑤

母が認知症になったのは今から数年前の事です。
当時は僕、父、母、叔父(母の弟)、そして祖母(母の実母)の5人で暮らしていたのですが、その祖母がある時、階段から足を踏み外して骨折し入院する事になりました。
その為、今までは祖母がやってくれていた家事を今度は母が担う事となりました。
母は仕事を辞めて家事に専念する様になりましたが、正直母は家事が苦手な人だった為いつも辛そうにしていました。
また家族内で唯一の同性ということもあってか、母は祖母と仲が良かったですし祖母を頼りにしているんだなというのが僕にも見ていて伝わってきました。
父や叔父には仕事があるので、家にいる僕が掃除や洗濯など出来る限りの事は手伝ってはいましたが、いきなり自分の苦手な仕事を押し付けられた挙句、頼りにしていた人を失って母の心はだんだん弱っていったのだと思います。
それから暫くして、僕達は母の言動や行動が日に日におかしくなっていっている事に気付きました。

 

 

あんなに頭の良かった母が認知症……?僕にはとても信じられませんでした。
しかし以前の母からは考えられない言動や行動が、母は本当に認知症になってしまったんだという現実を容赦なく僕達に突き付けてきます。
以前にも書いたと思いますが、母は学力や学歴を重視する典型的な教育ママでした。
母本人も名門大学を卒業した頭の良い人ですし、そうなるのも無理はないと思いますが性格はどちらかというと大人しく内向的な人でした。
僕は圧倒的に母に似たのだと思います。
だから母は僕が引きこもりになった当初は何とか学校に行かせようと躍起になっていたのですが、僕が本気で悩んでいるのだと分かると、何か自分に通じるものを感じたのか徐々に理解してくれるようになりました。
たまに自分の望み通り名門大学に進学しなかった僕を嘆く事もあったのですが、それでも僕に理解を示してくれた分、父と比べて僕は母の事が大好きでした。
それだけに、母が認知症になってしまった事は本当に悲しかったです。

 

 

結局、家事及び母の介護は父が担当する事になりました。
毎日の食事の用意(と言っても殆どスーパーで買って来た物を並べてるだけでしたが)に加え、母の介護をする父は確かに大変そうでしたが、正直僕には同情する気持ちなどは微塵も湧きませんでした。
むしろ「ああ、天罰が下ったんだな」と、今まで信じた事もない神様に感謝したくらいです。
母の認知症の原因には、やはり引きこもりである僕の存在も大きく関わっていると思います。でもそれ以上に僕は父の影響の方が大きいんじゃないかと思うんですよ。
たまに父が「何でこんな事になったんだろう」的な愚痴をこぼしている場面を見た事があるのですが、「お前の身勝手で振り回したせいなんじゃないのか」と心の中でそう思わずにはいられませんでした。

 

 

そして現在……
祖母は亡くなり、母は介護施設へと入所する事になりました。
あれだけ頭の良かった母が認知症になり、見る影もなくなってしまう……そんな現実を目の当たりにして、僕はいよいよいい学校に入るだとか、働くという事に対して意味を見出せなくなってしまいました。
いくらたくさん勉強していい学校やいい会社に入ったところで、世の中には病気や事件や事故、災害……様々な危険で溢れています。
そしてそれらがいつ自分に牙を剥き、今まで積み上げた輝かしい功績を一瞬で奪ってしまうとも限らない。
そう思うと勉強だとか働くという事が、酷く無意味な事のように思えてきました。むしろ引きこもっている自分の方が正しいんじゃないかとすら思えたくらいです。
なので僕はこれからも、死ぬまで引きこもりを続けると思います。
この部屋で生き、この部屋で死ぬ……きっとそれが僕の運命なのでしょう。

 

 

長くなりましたがこれが僕の引きこもりになった経緯、及び今の僕の状況です。
ここまで書いてみて改めて思いましたが、やはり自分の気持ちを文字にするというのは難しいですね。
色々と言いたい事は頭の中に渦巻いているのですが、それをいざ文字に起こそうとするとなかなか上手くいかない……
そんなもどかしさと格闘しながらも、何とかここまで書くことが出来ました。

 

 

僕はリアルではもちろんネットでもコミュ障で、ネット上ですら人と関わる事を避けて来た人間でした。
しかし、そんな僕がこうしてブログを書き他者へ発信しようとしている……そんな事実に僕自身が一番驚いています。
少し前なら考えられない事ですが、誰でもいいから話を聞いてほしい、気持ちを吐き出したいと思うほどやはり精神的に参っていたのかなと思います。

 

 

もちろん、このブログの内容が皆さんから賛同を得られるとは全く思っていません。
自立に向けて頑張っている引きこもりの方もたくさんいらっしゃるでしょうし、「死ぬまで引きこもりを続ける」なんて書いている人間のブログなど賛否でいえば圧倒的に否の方が多いでしょう。
ですが自分の気持ちを綴るブログという場で、嘘の綺麗事を言っても仕方ありません。これが今の僕の、噓偽りのない本心です。
そしてその本心を吐き出した事で、僕の心は少しだけ軽くなる事が出来ました。

 

 

次はいつになるか分かりませんが、今回で語れなかった悩みだったり、話したい事はまだまだたくさんあるので次回はそれを中心に語ってみようかと思います。
もしよろしければ、読んでいただけると嬉しいです。

名も無き引きこもりのこれまで④

ここで少し、僕の父の話をしたいと思います。
うちの家族は色々と性格に問題がある人が多いのですが(僕も含め)、僕から見て一番問題があるのがこの父親です。

父もまた勉強が一番大事だと考えるタイプなのですが、唯一母と違うのがその性格でした。
大人しい母と比べて父はどちらかというと行動力のあるタイプで、趣味も車や釣りなどアウトドアのものが多い人です。
またそういう趣味を持っているからか田舎というものをやたらと美化しているなと子供心に感じていました。
田舎の人は皆良い人だ、自然豊かな田舎で暮らせばきっと僕にも良い影響があるに違いない……そんな事を思って父はここに移住する事を決めたのかもしれません。

 

 

……いや、ふざけるなよ本当に。
そもそも僕をいい大学に入れたいのであれば、もっと教育のちゃんとした学校に入れるべきだし、こんな田舎の糞ガキどもが通うような学校ではそれが見込めない事くらい少し考えれば分かると思うんですよ。
それに田舎のデリカシーの無い人間達と関わる羽目になって、僕同様人見知りな母が困っている姿を子供の頃に何度か見た記憶があります。
結局の所、僕には父親が田舎暮らしをしたいが為に家族を振り回した様にしか思えず、そのせいで僕があんな目に遭ったのかと思うと本当に腹が立ちましたね。
しかもそんな僕の気持ちなんて知る由もなくこの男は時折、自分はいつも家族の事を考えているいい父親だと言わんばかりの態度を醸し出す事がありました。
そんな姿を見ていると、僕はこの男が心の底から憎くて堪らなくなりました。

 

 

また、僕はこの父親から自己中だとか我儘だという理由で何度か怒られた事があります。
学校に行きたくないと告げた時も「それはお前の我儘だ」と言われて怒られました。
……いや、お前が言う?
自分の都合で家族を振り回してきたお前に、そんな事を言う資格があるのか?
当時はまだそんな風にハッキリとは思えませんでしたが、何となく父の発言に対してモヤッと感じたのを覚えています。
で、それを指摘したら滅茶苦茶逆ギレされたんですよ。
そんな男を父親として尊敬できる筈もなく、僕と父の溝は更に深いものとなっていきました。
今では一緒の家に住んでいるにも関わらず、会話も殆どありません。
恐らく、父が死ぬまでずっとこの調子だと思います。

 

 

それと父の話をしていて思い出したのですが、あの当時流行っていて既に続編も出ていたハリーポッターの本を父が僕に買ってきた事がありました。
ただ僕は父に欲しいとねだったわけではなく、興味があったわけでもありません。言わば父が勝手にやった事です。
その為僕はあまり読む気になれず、他にやりたい事もあったので放置していました。
それから暫くして父が読んだかどうか聞いてきたので、僕は読んでないと正直に答えました。
すると父に「ちゃんと読まないんだったら、もう買ってあげないぞ」と言われました。
ハッキリとは覚えていないのですが、確かそんな感じの言葉を言われたと思います。

 

 

いや、何だよ買ってあげないって。
こっちは別に買ってほしいだなんて頼んでないのに、何で上から目線でそんな事が言えるんだと僕は思いました。
確かに僕は読書もファンタジーも好きですが元々ハリーポッターにはあまり興味がなかったですし、興味の無い本をわざわざ読んでみようと思う人は少ないと思います。
今にして思えばあれって、結局父が自分は子供の為にプレゼントを買ってあげるいい父親だ……という自己満足に浸りたいが為の行為だったとしか思えないんですよね。
……と、思いのほか父への愚痴が長くなってしまいましたが、とにかく僕はこういう理由があって小学生の頃から20年以上引きこもっているというわけです。

 

 

中学に上がってからは学校に行っていた時期もあったのですが、結局僕は小学校の時とほぼ同じ理由で不登校になってしまいました。
それ以来学校に行った事もなければ、社会に出た事もありません。
「高校や大学でやり直せば良かったじゃないか」と思う方もいると思います。
確かにもっと勉強していい高校やいい大学に入れば、僕が感じていたような不満は無くなるかもしれません。
でもそれは同時に、僕の親が小さい頃からずっと僕に言い聞かせていたことでもあります。
その時にはもう親に対して反発心(特に父)を持っていた僕には、親の言う通り勉強していい高校やいい大学に入るという道を選ぶ事が、何だか親に負けたような気がして堪らなく嫌だったのです。
つまらない意地を張ってと思うかもしれませんが、僕にとっては譲れない大切な事でした。

 

 

しかし、だからと言ってすっかり人間が嫌いになっていた僕に外に出て働く……という選択肢も無くこうして今の今までずっと引きこもっているというわけです。
この20年以上、僕はずっと自分の部屋から外の世界を見つめてきました。
20年以上も時間が経てば当然色々な事が変わっていきますが、それは外だけではなく我が家の中でも同じ事。
中でも一番の変化は、母が認知症になった事でした。

 

 

(続く)

 

名も無き引きこもりのこれまで③

特に顕著だったのが体育の時間です。
僕は勉強には自信がありましたが運動に関しては全くダメで、体育の時間にはいつも醜態を晒していました。
しかしそんな僕を励ましてくれるような人は誰もおらず、先生からも生徒達からも滅茶苦茶バカにされました。
中にはいじめに近いような扱いを受けた事もあります。
「(学校は勉強する所なのに……どうして僕が自分より頭の悪い連中にバカにされないといけないんだろう)」。
体育の授業の度、僕はそんな事を考えていました。

 

 

また僕が先生から怒られる理由の一つとして、「ボーっとしている」というものがありました。
でも僕は授業中にボーっとした事なんて勿論ありません。恐らく先生は僕の授業以外での過ごし方を見てそう判断したのでしょう。
確かに僕はどちらかといえばマイペースでのんびりとした性格ですし、色々と空想したりするのも好きな子供でした。
でも、それってそんなに悪い事なんでしょうか?

 

 

例えば僕と同じ様に空想好きな子がいたとします。その子は将来、その想像力を活かして作家などの職業に就く事ができるかもしれません。
でもそれを端から見ていた他人が「あいつ何だかボーっとしてるな」と感じて的外れな注意をしました。するとどうなるでしょう?
恐らくその子は僕の、私のしている事は悪い事なんだと感じて想像する事を止めてしまうでしょう。
それはつまり、その子がベストセラー作家になれたかもしれない未来を潰す事に繋がります。
無知な人間のせいで未来の可能性が閉ざされる…そんな事は絶対にあってはならない事だと僕は思います。

 


話が少し逸れましたが、そんな毎日が続き、僕はいよいよ学校に行く事が出来なくなってしまいます。
不登校になった僕を両親はやはり怒り、初めの頃は何とか学校に行かせようと必死でした。
確かに学校に行けなくなった子供を学校に行かせようとするのは、親としては当然の反応でしょう。
しかしあの人達の対応は僕の将来を案じてというよりも、「よりによってウチの子供が不登校になるだなんて恥ずかしい」だとか、そんな自分達の都合をひしひしと感じました。
先生や同級生だけでなく両親のそんな姿を目の当たりにして、僕は小学生ながらどんどん人間というものが嫌いになっていきました。

 

 

ちなみに後になって分かった事ですが、僕達がこの糞田舎に引っ越す事になった理由は「マイホームが欲しかったから」らしいです。
それを知った僕は正直、怒りでどうにかなりそうでした。そんな身勝手で下らない理由の為にこんな所に連れて来られる羽目になったのかと。

 

 

(続く)

名も無き引きこもりのこれまで②

僕はその田舎町の小学校に入る事となります。
遊ぶのが仕事だった幼稚園時代と比べていよいよ本格的な勉強が始まるわけですが、教育熱心だった親のお陰で勉強についていけないという事はありませんでした。
算数は苦手でしたがそれ以外のテストでは高得点を取れていましたし、少なくとも勉強においては優等生の部類に入っていたのではないかと思います。
いわゆる教育ママだった母は「勉強が一番大事だ」という事を、幼い頃から僕に言い聞かせていました。
だから僕も「勉強の出来る僕は偉いんだ!これからきっと先生にもたくさん褒められて、クラスの皆からも尊敬されるに違いない!」と思うようになります。
しかし、この学校ではそうもいかなかったのです。

 

 

田舎の学校という事もあるのでしょうが、あの学校の先生方は「子供は元気が一番」と考える古いタイプの先生が多かったように思います。
だからなのか、僕がテストでいい点を取っても褒められる事はあまりありませんでした
むしろ休み時間に元気に外で遊んでいるような子達と比べられて、よく分からない理由で怒られたり説教される事の方が多かったですね。
そんな毎日が続いて、僕はよくこんな事を考えるようになりました。
「(あれ?学校って勉強する所だよな?なのに何で勉強が出来る僕がこんな扱いを受けなくちゃならないんだ?)」と。

 

 

前にも言いましたが、僕は親から「勉強が一番大事だ」と教えられてきました。
しかし実際に学校に入ってみると、クラスの中心となっているのは勉強が出来なくても運動が出来るだとか、友達の多い子ばかり。
親から勉強しか教えて貰えなかった僕は、この事実に衝撃を受けます。
また先述の僕に対する先生の対応の事もあり、クラス内での僕の評価は段々と悪い方向へ向かっていきました。

 

 

(続く)

 

名も無き引きこもりのこれまで①

辰年は新しい事を始めるのに良い……そんな話を聞いたので、以前から気になっていたブログというものに挑戦してみる事にしました。
第一回目という事で何を書くべきか非常に迷ったのですが、まずはやはり自分の事を知ってもらう為にも、どうして自分が引きこもりになったのかや今の僕の状況について書いてみようかと思います。
正直僕以上の引きこもりはなかなかいないのではないかと思いますので、もしこのブログを見たひきこもりの方がいたら「上には上(下には下?)がいるんだなー」と思ってどうぞ安心してください。

 

 

それではまず初めに自己紹介を。
皆さん初めまして、ジョン・ドゥです。
ジョン・ドゥというのは英語で名無しの権兵衛を意味する言葉だそうで、存在というものが曖昧な今の僕にはぴったりだと思い拝借させていただきました。
20年以上ひきこもっている筋金入りの引きこもりで、世間から見たらもうおっさんと呼ばれる年齢ですが実年齢と精神年齢が全く一致していない哀れなおっさんです。

 

 

そんな僕は今から数十年前、この国の某県で生まれました。
小さい頃から気が弱く人見知りな性格でしたが、幼稚園時代はそれなりに友達も多く仲の良い女の子もいました。
今思えば、あの頃が一番充実していたと思います。
僕はこの子達と一緒に小学校に上がって楽しい日々を送るんだろうなーと思っていたのですが、そんな期待は脆くも崩れ去る事となります。

 

 

僕が幼稚園を卒園するのと同時に、家を引っ越す事が決まりました。
今まで住んでいた所は結構都会だったのですが、新しく住む事になった場所は交通の便も悪く車が無ければ何もできない様な何とも辺鄙なド田舎でした。
ただその時の僕は友達と別れて寂しいというよりも、むしろこれから始まる新たな生活にワクワクしていたと思います。今では考えられない事ですが。
しかしそんなワクワクした気持ちもまた、脆くも崩れ去る事となるのでした。

 

 

(続く)